カラマーゾフの兄弟5

ドストエフスキー著、亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫
カラマーゾフの兄弟 5 エピローグ別巻 (5) (光文社古典新訳文庫)
亀山訳「カラマーゾフ」もついに完結!この第5巻は、ほんの少しのエピローグと、亀山氏による「ドストエフスキーの生涯」と、作品を詳しく解説した「解題」からなる。そのほとんどは「解題」が占めている。この趣向がよかった。この作品の複雑な構成や、いろんなテーゼに対比や反復を鮮やかに示していて分かりやすい。各巻末の「読書ノート」もそうだったが、注意深く読んでいたつもりでも気付かないまま読み進めてきたことが、整理された。「ああそうか!」「言われてみれば…」の連続で、読み始めると止まらず、1日で読み終えてしまった。
全体としてはいかに緻密に構想された小説だったのかがよく分かった。だからこそ、現代に至るまで、玄人筋の読者を引きつけてやまないのだろう。人物間の対比や並置(パラレル)は鮮やかというほかない。続編となる「第二の小説」が構想されていたとのことで、「第一の小説」で「終わる物語」と「始まる物語」を整理した図も明快だった。これで話の流れと本質的に関係のない少年たちの話が延々と続いた理由も合点がいく。その意味では、ドストエフスキーの「腐臭」へのこだわりを考えると、イリューシャの遺体について、エピローグでわざわざ

不思議なことに、遺体にはほとんど異臭がなかった。

と描写していることが印象に残った。これが当然、ゾシマ長老の遺体が発した「腐臭」との対比になっているのは亀山氏が指摘している通りだ。さらに言えば、「第二の小説」を待たずに少年のまま死んだイリューシャだけが「無垢」である、ということを象徴しているように思えてならない。逆に言えば、ゾシマのような「聖人」でも歳を取るに従って「汚れて」いく、いわんやアリョーシャをや、ということを「続編」に向けて提示したのではなかろうか。
そうなると興味は「書かれなかった続編」に移るのが人情だろう。「解題」に亀山氏の解釈がある程度示唆されているが、光文社新書の「カラマーゾフの兄弟の続編を空想する」も注文してしまった。今から待ち遠しい。本編を楽しみ、さらに続編も空想する。こんな文学の楽しみ方はなかなかできないだろう。