恐怖の存在 上・下

マイクル・クライトン著、酒井昭伸訳、早川書房

恐怖の存在 上 (1) (ハヤカワ文庫 NV ク 10-25)

 図書館で借りる。気候変動の真実 - a follower of Mammon で取り上げられていたのを読んで興味を持った。クライトン作品はかなり昔にいくつか読んだ記憶がある。医者で映画『ジュラシック・パーク』やドラマ『ER』など、科学や医療に関する作品で知られるが、チャネリングなどスピリチュアルな生活をつづったエッセーも読んで驚いたことを記憶している。

 本作は、いわゆるディザスターテロものと言っていいのだろうが、ベースになっているのが地球温暖化や気候変動、環境保護運動に対する懐疑である。具体的な筋立てはともかくとして、上記『気候変動の真実』にも出てきたような、いわゆる危機説の反証となるようなデータがふんだんに取り上げられている。

 その内容から刊行当初は批判にさらされたようだが、その根底にあるのは、巻末の「作者からのメッセージ」にあるように、地球温暖化の原因のどこまでが自然現象でどこまでが人為的なのかは分からないということである。

 私自身は知識そのものに加え、データの読み解き能力にも限界があり、「影響について確実なことは言えないが、温室効果ガスの排出を抑制する必要がある」と漠然と考えている程度である。むしろ、本書について、強く共感したのは、「付録1 政治の道具にされた科学が危険なのはなぜか」であって、むしろクライトン作品としては傑作とは言い難いこの小説作品自体よりも読む甲斐があると思った。詳しくは実際に呼んで頂きたいと思うが、気候変動だけでなく、新型コロナウイルスパンデミックを経た今、「作者からメッセージ」にあるように

・安全に対する現在のヒステリーに近いこだわりは、どんなに好意的に評価しても資源の浪費であり、人間の精神を委縮させるものであって、最悪の場合、全体主義にも通じかねない。

と感じるのである。

子どもを信じること

田中茂樹著、大隅書房

子どもを信じること

 図書館で借りる。医師・臨床心理士による子育て本。仕事でのカウンセリングや4人の息子がいる自身の子育て体験を踏まえ、子どもの力を信じて見守る育児を説く。

 不登校児を含め、叱らず、小言を言わずというような優しい子育て論で、それ自体は今やさほど珍しくないが、ケーススタディ的に随所で取り上げられる「例」が豊富で、それに対する指摘が身につまされるというか、耳に痛いことも多い。例えば、夕食の準備をしてくれた娘をほめたうえで「あとは片付けもできたら文句なしよ」と言った母親を例に

 子どもにしてみたら、せっかく良い成績をとったり手伝いを頑張ったりしたのに、親が余計なことを言ったことで間違いなく気分を悪くするでしょう。

 (中略)(親は)子どもが自立につながることを達成して自分から離れていく、その淋しさを打ち消すように「あなたにはまだ足りないことがある」と声に出して確認してまっているのです。

と指摘している。また、子どもの阻喪を謝らずに子どもを叱るだけの親の例など、身に覚えがあることが次々と出てくる。

 月並みだが、現実問題としては、おそらく子育てには正解はないのだろう。例えば、本書でも食べ散らかしたものを親が黙って片付けることが推奨されている一方、成人した子どもの世話を焼く親は批判されている。どちらでもない私としては、両者にたいした違いはないように感じる(著者は子どもは自然と片付けをやるようになると言うが、必ずしもそうとは言い切れないような気がする)。

 ただ、それでも、参考になるというか、反省を促される点が満載で、私個人としては、もう少し早く、子どもがまだ小さかったころに出会いたかった本である。

気候変動の真実

ティーブン・E・クーニン著、三木俊哉訳、日経BP

気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか?

 図書館で借りる。オバマ政権の科学担当幹部を務めた米国の著名物理学者が、「気候危機」に疑義を呈した本としていっとき話題になったので、図書館で予約したら、借りられるまでにけっこう時間がかかった。

 構成としては第一部は「サイエンス」として、データを使いながら気候変動に対する人間の影響は少ないことや、各種報告書などでみられるようなサイクロンや異常降水が増えているといった説明を否定していく。第二部では「レスポンス」として、パリ協定に基づく温室効果ガスの排出削減では全然足りないとして、太陽放射管理などの地球工学の採用の検討を求め、適応策の重要性を説く。

 確かに気候モデルにおいて、実際の気候システムの特徴と合致させるためにパラメーターを「調整」していることは驚きだったし、現在みられるような地球の気温上昇は、ここまで二酸化炭素の排出が多くなかった過去にもみられたということはよく指摘されていることではある。しかし、例えば気温上昇については、人間活動の影響を否定することもできない(過去に同様の上昇があったからといって、現在も自然の影響による上昇であるとは確定できない)だろう。このあたりは著者による説明も乏しいが、著者もそう考えていない限り、人間による「レスポンス」の必要性が説明できないのではないかと思われる。

 そういう意味では、巷間言われている印象から受けるような極端な本ではなく、著者も「はじめに」で書いているように

 先入観を持たずに本書を読んでほしい。気候科学についてわかっていること、わかっていないことが公の場で真剣に議論されたことはほとんどない。(中略)気候やエネルギーに関して社会がもっと賢明な意思決定をするための、そして地球温暖化の科学をめぐる議論をもっと冷静なものにするための、これは重要な一歩になるだろう。

という趣旨であろう。ゆえに、読み終えてみて、「我が意を得たり」とばかりに気候危機の否定本としてとらえた巻末の「解説」には違和感を覚えた。また、「未確定」を意味する原題『Unsettled』を『気候変動の真実』という大袈裟な邦題に変えるというのは、本書で批判されているマスコミの在り方の典型のように感じた。

サピエンス全史 上・下

ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳、河出書房新社

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 イスラエル歴史学者による言わずと知れたベストセラー。ちょうど読む物がなかった時に妻の蔵書に見つけ、読み始めた。

 題名の通り、現生人類の歴史を紐解いた書だが、その分かりやすいまとめ方が多くの人に「目からうろこ」と言わしめたゆえんだろう。虚構をつくり出す能力が大勢での協力を可能にしたという「認知革命」に始まり、統一に向かう人類の発展の原動力として「貨幣」「帝国」「宗教」を挙げる。最終的に「科学革命」として資本主義やテクノロジーに焦点をあてて、サピエンス後を占うという仕掛けになている。

 また、論の展開の過程で、著者ならではの、時としてユーモラスとも思える独自の視点が披瀝されているのも魅力である。例えば、農業革命によって、平均的な農耕民は狩猟採集時代よりも不幸になったとして、

 では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。

と言い切る。このように、一見というか通説的には「進歩」とされる人類の歩みによって、人類の幸福は増大していないばかりか、逆に縮小さえしているとの視点は本書の随所で取り上げられている。それがこの人類史の縦軸の一つになっていると言っていいだろう。

国際環境法講義 第2版

西井正弘・鶴田順編、有信堂

国際環境法講義〔第2版〕

 図書館で借りる。書名から想像できる通り、国際環境法の教科書的な本。「講義」とさいれているが、話し言葉になっている訳でもなく、普通の概説書である。第一部の総論として、環境条約などの形成過程や持続可能な発展(開発)などを概説し、第二部の各論として、気候変動(地球温暖化)や海洋汚染、生物多様性などのテーマごとに関連する国際法の仕組みや特徴を概説していく。

 非常によくまとめられていて、勉強になることも多いが、当たり前ではあるが、いかにも法律の教科書的な体裁で、なかなか頭に入りにくいことは否めない。むしろ、最大の売りだと感じたのは、より具体的な個別テーマを概説するコラムである。時事的な問題を取り上げることも多く、例えばコラム⑫「日本のIRCW脱退と商業捕鯨の再開」では

 捕鯨問題は、漁業問題として扱うか、環境問d内として扱うかで大きく見え方が変わる。地球環境が大事であることはいうまでもないが、ある問題を環境問題として扱うことが適切か否か、捕鯨問題は、このことを考えるうえでも良い教材といえる。

と端的に指摘している。また、⑬「ウナギの国際取引規制」では、台湾で輸出が禁止されているウナギの稚魚が香港に密輸されてから日本の輸出されていることがさらっと紹介されていたりする。あくまでも本文の「おまけ」という位置づけなのだろうから仕方がないのかもしれないが、それだけにコラムの文字が本文よりも小さく、読みにくいのが残念であった。

わかりあえない他者と生きる

マルクス・ガブリエル、大野和基インタビュー・編、月谷真紀訳、PHP新書

わかりあえない他者と生きる 差異と分断を乗り越える哲学 (PHP新書)

 図書館で借りる。ドイツの新進哲学者であるマルクス・ガブリエル氏のインタビューを起こした書籍の3冊目で、私が読むのは つながり過ぎた世界の先に - a follower of Mammon に続いて2冊目である。今回は題名からも分かる通り、また副題に「差異と分断を乗り越える哲学」とあるように、近年顕著になっている基本的な考え方による人々の分断をどう乗り越えるかについて考察している。また、2021年のインタビューとのことで、ロックダウンへの疑問などコロナ対策に多くが割かれている。

 氏の説く「新実在論」というような肝心な哲学的な部分はよく分からないが、その本質は対話の重視といったような、当たり前と言えば当たり前の姿勢である。そのうえで、そのような当たり前だと思われていることに、新たな視点というか、新たな光を当てるのが、氏の真骨頂と言え、それが『哲学界のロックスター』と言われるゆえんなのだろう。例えば、気候変動について

現在、人々は気候変動と戦うために科学の下に団結したり科学に従ったりすべきだと考えていますが、科学が気候変動を引き起こしたことが忘れられています。気候危機を引き起こしたのは科学なのですから、気候危機の解決に科学さえあればよいというのは間違いです。戦争を止めるためにもっと武器を持たなければと言うのと同じです。

と指摘し、こちらが見過ごしがちなことを気付かせてくれる。また、ドイツで起きた難民への拍手にも、相手を人間として考えていないとして、反対する姿勢を示していることについては、一時日本でもブームのようになった、コロナ禍で医療従事者をたたえて拍手したりする風習への違和感と重なった。

 全体として、今回もモノの見方を広げてくれる読書体験となったが、前作同様、インタビューという形式の問題だと思うが、氏の主張の根拠の部分がやはり物足りなく感じた。

気候安全保障

公益財団法人笹川平和財団海洋政策研究所編、阪口秀監修、東海教育研究所

気候安全保障

 図書館で借りる。気候変動への対応を安全保障の問題としてとらえる「気候安全保障」についての論文集的な本。本書の編者でもある笹川平和財団がちょっと前から研究に取り組んでいるらしい。

 本書にもある通り、地球の平均気温が1℃上昇するごとに世界中で殺人事件が6%増加すると予測する研究者もいるなど、気候変動による影響は環境そのものにとどまらず、人間そのものにも及ぶ。そのために安全保障的な観点での取り組みも必要であるという主張は受け入れやすいが、その定義や、具体的な戦略となるとなかなか難しい。本書でも、日米の安全保障戦略などで取り上げられている気候変動を減殺しようとする「環境安全保障」というような考え方について

 そのような意味での「環境安全保障」という概念はもちろん成り立つものであるが、それでは単なる環境保護と区別がつかなくなるおそれがあるだけでなく、「安全保障」概念の無意味な拡張に繋がりかねない。(中略)特に日本においては、「安全保障」における軍事力の意義・役割から目を背けるために「安全保障」概念をできるだけ広く捉えようとする傾向がなきにしもあらずであったから、「安全保障」という概念の使用法については今なお注意が必要である。

とされている。「安全保障」そのものの定義はともかくとして、そういう意味では、概念そのものが確立途上にあると言える。ましてや、その概念で具体的にどのような施策や戦略が取り得るかとなると、研究はこれからという感じがした。

 しかし、温室効果ガスの排出抑制など気候変動の防止策に偏りがちな地球温暖化本のなかでは、適応策を主眼にするのみならず、それを安全保障ととらえる視点は面白い。また、「自由で開かれたインド太平洋」構想や、中国の進出が著しい太平洋島しょ国の問題も詳述されており、太平洋の島国の国民にとっては稀有かつ有意義な一冊である。