文豪たちの住宅事情

田村景子編著、笠間書院

文豪たちの住宅事情

 図書館で借りる。表紙に「住んだ家、住んだ土地から見えてくる文豪たちの人生と文学」とある通り、文豪たちが移り住んだ住まいの変遷を紹介する。取り上げられた文豪も夏目漱石太宰治谷崎潤一郎から正岡子規俳人・詩人、寺山修司に至るまで錚々たる顔ぶれである。それぞれの生まれ育った家から、移り住んだ家(みな、本当によく引っ越しをしている)と作品や生き方に与えた影響がつづられ、なかなか興味深い。

 ただ、もちろんそれぞれの家についても描写はされているが、その変遷を追うことに重きが置かれ、間取りの記述などで終わっているものも多く、「文豪の家」についての掘り下げという観点からはややものたりない。むしろ、住をめぐる意識のようなものに発見が多かった。例えば、名作『舞姫』の後日譚に『普請中』(建築中の国、という意味だろう)との題を冠した森鷗外が若いころ、専門の衛生学の知見を生かして下記のような内容の『日本家屋論』なるものを研究発表しているそうだ。

 このように、家屋が土地に直に接してないことは、衛生上、非常に優れている。だから、地下の汚水を排する設備が整わないかぎり、むやみにこれを西洋家屋に改めるべきではない。(中略)

 この論文からは、性急で無批判な西欧化の風潮に対して厳しい学問的な態度で臨み、「洋行帰りの保守主義者」と見られるようになった鷗外の、住宅に対する考え方が垣間見える。『普請中』の日本を、どのように建設するべきか。こう問い続けた文豪のまなざしは、身近な住宅の問題にも、鋭く向けられていたのである。

  また、川端康成が「希望の生活」として

 1、妻はなしに妾と暮らしたいと思ひます。

 2、子供は生まず貰い子の方がいいと思ひます。

 3、一切の親戚的なつきあひは御免蒙りたいと思ひます。 

などと10項目にわたって答えている。今なら問題発言になるようなことを飄々と語っていること自体が、(語弊を恐れずに言えば)ある意味で衝撃的であるが、続いてそれには理由があったとみられることが明かされ、何とも味わい深かった。