日々翻訳ざんげ

田口俊樹著、本の雑誌社

日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年

 図書館で借りる。副題に「エンタメ翻訳この四十年」とあるように、主にミステリーの翻訳家である著者が、その訳業を読み返して、その苦労話や思い出話を記す。

 普段、ミステリーやハードボイルドはあまり読まないが、軽妙な語り口とあいまって、ページが進み、2日ほどで読み終わった。各話の末尾にその時の社会的な出来事(9・11など)もタイムライン的に示されていて時代背景もつかみやすい。また、英語教師から翻訳家に一本立ちしたり、バブル期には出版業界も景気がよかったことなど、翻訳家の「生い立ち記」としても興味深かった。

 しかし、最も印象に残ったのは、訳業とは直接関係ない、ローレンス・ブロック(もっとも、著者は作品を何冊も翻訳しているようだが)の『ベストセラー作家入門』の引用。先生から「きみには情熱がない」と言われてヴァイオリニストの道をあきらめて実業界で成功した男が、先生と再会した際に「きみの演奏は聞いていない。誰にでも同じアドバイスをする」と言われて憤慨する。すると先生は答える――

 だったら訊くが、もしあのとききみに情熱があったら、私にそんなことを言われても、あそこでヴァイオリンをやめたりはしなかったんじゃないのか? 

 また、著者がブロックに会った際に聞いた、作家にとって大切な二つのことはcourage(勇気)とhonesty(正直さ)だったという。『オルタード・カーボン』の著者、リチャード・モーガンの答えはpassion(情熱)とcompassion(同情)だったという。